ある若者が人生の達人に尋ねる
若者:達人、「コミュニティポートフォリオ」って言葉、聞いたことありますか?
達人:うむ、聞いたことはない人が多かろうな。だが恥じることはないぞ。実はそれは我輩の造語であるからな。はっはっは。だが言葉の中身はすぐに理解できるじゃろう。自分が属する複数のコミュニティを持つこと、それがコミュニティポートフォリオじゃ。
なぜ一つだけだと危険なのか
若者:一つしかコミュニティがないと、何がまずいんですか?
達人:想像してみよ。お主の世界が一つの輪だけでできているとしよう。その輪が壊れたら、お主の居場所も、評価も、日常の多くが一気に揺らぐ。人生が悲劇的に感じられるのはそのためじゃ。
若者:でも、仲間が深いほど安心じゃないですか?
達人:深さは尊い。しかし依存は危うい。だから分散が必要なのだ。投資で言えばリスク分散、人生でも同じことが言える。
2人が3人になると社会が生まれる
若者:ところで、人間って不思議ですよね。2人だとただの関係だけど、3人になると急に「社会」になります。
達人:そのとおり。動物全般にも見られるが、人間は二人が三人になった瞬間に社会が形成される。そこに規範や役割、そして建前が生まれるのだ。
若者:建前って、悪いものですか?
達人:悪とも善とも言えぬ。建前は社会を滑らかにする潤滑油だが、同時に摩擦や遠慮を生む。対談に比べて鼎談や座談会が時につまらなく感じるのは、互いの遠慮が働くからかもしれぬな。
典型的なトラブルの図式
若者:よくある光景ってありますか?
達人:ある。ずっと仲良しだったAとBにCが入る。三人組ができるが、CはAを好まない。CはBとだけ親しくし、気づけばAは爪弾きにされる。これは日常のドラマだ。
若者:それっていじめですよね?
達人:いじめは撲滅が難しい。人間の宿痾とも言える。完全な解決は難しいが、被害を小さくする術はある。
コミュニティポートフォリオの実践
若者:術って、具体的には?
達人:Aのような立場なら、あらかじめ複数のコミュニティを持っておくことだ。学生ならクラス、部活、習い事、地域活動、ネットコミュニティ――これらがポートフォリオになる。
若者:ネットの関係も有効ですか?
達人:もちろん。ネットコミュニティも立派なコミュニティポートフォリオだ。物理的な距離は関係ない。QOLを高めるための「サードプレイス」という言葉もあるようじゃが、別に3つでなくてもよい。多様な居場所があれば、一つが壊れても心は折れにくい。
物語の教訓と極北の考え方
若者:文学にも似たような話がありますよね。村上春樹の『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』みたいに。主人公は親友グループから絶交されて深く絶望します。もし彼がコミュニティポートフォリオを持っていたら、あそこまで追い詰められなかったかもしれません。
達人:物語としてはあの絶望が重要だが、現実の備えとしては示唆に富む。一つの関係に全てを賭けないことが、心の安全弁になるのじゃ。
若者:でも達人、あなたは孤高を説いたりしませんか?
達人:いかにも。コミュニティ・ゼロこそが我輩の考えるコミュニティポートフォリオの極北じゃ。これはコミュニティを捨てることを勧めるのではない。コミュニティに己を相対化しない、つまりどのコミュニティにも自分の存在を完全に依存させない心のあり方を指す。その意味で、哲学で己を磨き、孤独の真理を知ることは、最終的に心安らかに生きる秘訣であると言えるかもしれぬな。
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