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天下睥睨するブログ

【書評】ジェラルド・カーティス『代議士の誕生』(日経BPクラシックス、2009)(原著 1971)

どうやら近々衆院解散の動きが強まっているようである。

この数年来、若い世代も含め、国民の政治意識がだんだんと高まってきているのを肌で感じる。そのこと自体について、東浩紀の『平和と愚かさ』などを読んでいると諸手を挙げて喜んでよいのか分からなくなってくるところだが、それはまた同書を読み終えてからの話として論じることにしよう。

私は過去の視点を通じて現代社会を考えてみたいと思う質なのだが、選挙というテーマに関して言えば本書はうってつけである。
この『代議士の誕生』は、アメリカ人政治学研究者であるジェラルド・カーティスが、1967年の第31回衆議院議員総選挙大分2区を主戦場に戦う政治家佐藤文生に1年近くの間住み込みで密着取材し、当時の日本の選挙の性質を分析してみせたものであり、日本政治研究の古典として知られている。これがいま読み返してみると、単なる昔の選挙の記録ではなく、日本社会の価値観がどのように変わってきたのかを照らし出す鏡として驚くほど鮮やかなのである。

当時の衆院選は中選挙区制で、55年体制の下では自民党が圧倒的に強かった。結果として、同じ自民党同士が同一選挙区で競い合うという、現代の感覚からすると奇妙な構図が日常だった。政党対立よりも、地縁・血縁・後援会の結束力が勝敗を左右し、候補者は「どれだけ組織票を固められるか」という一点に全精力を注ぐ。
SNSで一晩でバズる可能性がある現代の選挙戦とは、戦略の前提がまったく異なる。

ところで、日本の固定票というと、義理やしがらみから生まれる独特なものであるという見方があるが、カーティスはそのようなものは互酬性という普遍的な社会原理の一形態であるとして捉えている。

「日本独特といえるのは、そのような考え方の存在自体ではなく、そうした考え方が伝統的なムラ社会で極めて重視されており、具体的にどのような社会行動をとるべきかが、社会の約束事としてはっきり決まっていることだ。」(86ページ)

互酬性は万国共通だが、日本ではそれがムラ社会の中で極めて重視され、誰に・どの場面で・どれだけ返すべきかという行動の細部まで社会の約束事として共有されていた。
内部者にはあまりに当たり前すぎて見えないこの構造を、外国人研究者だからこそ冷静に切り分けて描いている。

その視点は、固定票と浮動票の価値づけにも表れている。カーティスは、固定票が共同体のしきたりの象徴であるため、浮動票には「意識が低く、選挙運動しだいでどうにでもなる票」というマイナスのニュアンスが込められていたと指摘する。
固定票を投じる人は「約束事を守り、共同体の調和に貢献する人」として尊敬され、浮動票を投じる人は「都市化が生んだ問題児」とみなされる。投票行動が「個人の選択」ではなく、「共同体の一員としての責務」だった時代の空気がよく伝わってくる。

「固定票が社会のしきたりの象徴であるため、浮動票という言葉には基本的にマイナスのイメージがある。政治意識が高く自分の意思で投票する自立した有権者とはみなされずに、『選挙運動しだいでどうにでもなる意識の低い票、というニュアンスさえ感じられる』のだ。(中略)日本の伝統社会では、固定票を投じる人が尊敬される。固定票は村落共同体の調和と結束のためにきちんと約束事を守る人が投じる票だ。浮動票を投じるのは、都市化が生んだ問題児であり、社会のしきたりを破って共同体の足並みを乱す人間なのである。」(168~169ページ)

しかし、都市化が進んだ現代社会では、この価値観は大きく変わった。地縁・血縁のネットワークは希薄化し、個人の選択が尊重される社会規範が強まる。浮動票は「問題児」ではなく「自立した有権者」として肯定的に語られるようになった。
同じ浮動票でも、社会構造が変われば意味づけがまったく変わる。この変化を逆照射することで、日本人の共同体意識の変容が立体的に浮かび上がる。

『代議士の誕生』は、半世紀以上前の選挙戦を描いた本でありながら、現代の政治行動や社会のあり方を考える上でも示唆に富む。制度が変われば政治文化も変わる。社会構造が変われば、投票行動の意味も変わる。
そのダイナミズムを、カーティスの観察は驚くほど鮮明に捉えている。

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