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【書評】宮沢俊義『八月革命と国民主権主義 他五篇』(岩波文庫、2025)ー八月革命論に学術の切なさを感じた話

最近、岩波文庫から長谷部恭男編による宮沢俊義『八月革命と国民主権主義 他五篇』が刊行された。
憲法学に触れたことがある人なら「八月革命説」という言葉だけは耳にしたことがあるだろう。私自身、大学時代は法学部に籍を置きながらも、決して模範的とは言えない学生生活を送っていたが、それでも主権が天皇から国民へと移ったことの法的正当性を説明する通説として、八月革命説の存在ぐらいは知っていた。

しかし――いかに模範的な学生であっても、その原典を実際に読んだことがある人は意外と少ないのではないだろうか。
ということで、当時とは比べものにならないほど真面目な学徒に変貌した私は今回の文庫化を機に読んでみることにした次第。

■ はじめは市民向けに書かれた「八月革命説」

本書に収められた6篇のうち、タイトルにもなっている「八月革命と国民主権主義」は、実は分量として最も短い。初出は1946年5月、『世界文化』という雑誌だという。
この『世界文化』、京都学派の学者が中心とはいえ、淀川長治の映画批評まで載っていたという同人誌的な媒体だったそうで、いわゆる固い学術誌とは少し趣が違うようだ。

宮沢が八月革命説を本格的に論じた主論文は、同じ1946年に発表された「日本国憲法生誕の法理」(本書所収)であり、こちらの方が学問的な芯を担っている。
時系列的には「八月革命と国民主権主義」の方が発表が先なのであるが、もしかすると戦後まもなくの混乱期において、いち早く一般市民に向けて新憲法の位置づけについてなるべく平易に理論を説明しようとしたものなのかもしれない。

だからこそ、この短い論文を読むことは、当時の宮沢が何をどう伝えようとしていたのか、その温度に触れることでもある。

 ※ 論文の発表経緯については樋口陽一『憲法』を参照した。

■ 「革命」はどこで起きたのか?

敗戦直後、日本は混乱の中にあった。GHQをはじめ、国内外のステークホルダーの思惑が入り乱れる中、急ピッチで新憲法が起草されていく。
しかし、ふと立ち止まって考えてみれば、奇妙な問いにぶつかる。

大日本帝国憲法は「廃止」されたのか? それとも「改正」されたのか?

実は、どちらとも言いがたい曖昧な状態にあった。当時の政治状況の中で、法理論としてスパッと説明するのは非常に難しい。

そこで宮沢は、こう考えた。

旧憲法と新憲法の断絶は、新憲法施行の時に起こったのではない。
その前、ポツダム宣言を受諾した瞬間に、旧憲法の基本原理はすでに否定されていた。
つまり、あの時すでに「革命」が起きていたのだ。

この「八月革命説」は、一応の筋がとおっている一方で、どうしても理論としてアクロバティックに見える(実際この点を鋭く批判したのが川村又介最高裁判所判事であり、この批判に応じる形で同年発表されたのが「日本国憲法生誕の法理」となる)。
このアクロバティックさを前にして、私は宮沢自身も「これは絶対に正しいんだ」と心底信じていたわけではなかったのかもしれない、と想像している。

■ 苦心のなかで生まれた「正当性」

戦争に敗れ、政治的独立性も大きく制限される中で、日本は新たな憲法を制定しなければならなかった。
形の上では自主制定であろうとも、実態としては連合国の強い意向を無視できず、その中でなんとか法的正当性を確保する必要があった。

八月革命説は、牽強付会とまでは言わないが、苦心惨憺の産物であったことは確かだと思う。
法学が政治状況に引きずられ、必死に理論を紡いでいく――その関係性が、ここには鮮明にあらわれている。

そこに私は、法律学の学術としての切なさを感じる。

理論は常に美しく整っているわけではない。
時に現実に寄り添い、時に後追いし、どうにか形を整えていく。
この論文を読んだことは、個人的にはその「切なさ」や「人間らしさ」に触れる体験となった気がする。

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