人生高みの見物

天下睥睨するブログ

【書評】森合正範『怪物に出会った日 井上尚弥と闘うということ』(講談社、2023)

著者・森合正範は、高校時代からボクシングに魅せられ、後楽園ホールに通い詰め、その近くにあるというだけの理由で大学を選ぶ。最終的には新聞記者になり、ボクシング観戦を「職業」にまでしてしまう。
そんな人物でさえ、井上尚弥という「モンスター」を前にすると、その強さを正確な言葉で表現できずにいたというのだ。

私は、野球の大谷翔平、将棋の藤井聡太、そしてボクシングの井上尚弥という日本の競技史に残るであろう 3 人のGOATを同時代に見られる幸運に感謝している。井上はパウンド・フォー・パウンドで常に上位3位を争う現代のボクシング界の絶対王者であることは、もはや私が繰り返す必要もないほど広く知られている。

それでも――彼は一体どこが、どう「異常」なのか。
その核心に迫る言葉を、果たして誰が残せるのか。

■ 敗者に聞くことで、井上尚弥の強さが浮かび上がる

森合が採用した手法はじつに大胆だ。
井上尚弥と闘い、そして敗れたボクサーたちに直接会いに行くのである。

強者そのものを語るのではない。
強者によって打ち砕かれた者たち――その「影」に光を当てることで、逆説的にモンスターの輪郭を際立たせていく。

このアプローチは非常に効果的である。
ただ「強い」「速い」「上手い」と語るだけでは到底伝わらない領域に、彼ら敗者の言葉を通じて我々読者を連れていくことに成功したのだ。

■ 語られるのは敗北ではなく、「出会い」

本書で登場するのは、井上と拳を交えた10人の一流ボクサーたち。
みな誇り高く、実績もある。しかし彼らは不思議なほど率直に、自身の敗戦を語りたがる。

たとえば元世界王者・田口良一はこう言う。

「井上尚弥と判定までいったんですよ、と言ったらもっと驚かれるんです。
世界チャンピオンより上なんですよ」(122頁)

世界最強クラスの選手であっても “井上と戦った” という事実そのものが勲章になる。
こうした言葉は、どれも敗北の弁ではなく、むしろ誇らしい体験の記録だ。

アルゼンチンの名王者ナルバエスもこう語る。

「メディアは井上がやっていることを簡単に扱いすぎる。
決して簡単じゃない、と分かってほしい」(196頁)

河野公平の言葉はとりわけ胸を打つ。

「スピードもパワーもディフェンスも、一番。全部が抜けている。
普通は何かが欠けるのに、彼にはそれがない。
みんな井上君みたいに動きたい。でも、できない。だから理想なんですよ」(334頁)

そして最後には、まるで友を送り出すようにこう続ける。

「僕と闘ってくれて感謝しています。
彼には世界でパッキャオのように名前を売って、夢を見せてほしい」(335頁)

敗者の口から出てくるのは、屈辱や言い訳ではない。
それは「『あの日、怪物に出会った』という濃密な個人史」であり、時に人生を変えるほどの転機として描かれる。

特に河野公平とノニト・ドネアの章は、本書の白眉である。

■ 井上尚弥という存在を、人間の言葉に落とし込む試み

私は普段、誰かを語るのに「他者との比較」に頼るのはあまり好みではない。
人間の能力差など本来わずかで、比較は多くのノイズを含むからだ。

しかし、例外がある。それはその人が他者との間に「絶対的な差」が存在するときである。

卑俗な例で恐縮だが、もし偏差値で例えるなら、プロボクサーのボクサーとしての能力の平均偏差値が60くらいだとしたら、そこに偏差値90の怪物が1人だけ現れたようなものである。
その凄みを知るには、比較こそが最も伝わる方法になる。

本書はまさにその視点に立ち、「敗者の証言」という素材を使って、井上尚弥を言語化しようとした試みである。

そしてそれは、他のどの井上尚弥本とも違う、唯一無二の“怪物ドキュメント”に仕上がっている。

井上尚弥の強さを「知る」だけでなく「感じたい」読者には、ぜひ手に取ってほしい一冊である。

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