もうだいぶ時間の経ってしまった年末(12/27)の話になる。
外出先で予定がキャンセルになり時間が余ってしまったのだが、家族が揃って午後不在になるという連絡を受けたので、前々から受講しようか逡巡していた大澤真幸さんの『現代社会論』に、ほとんど飛び込みのような形で申込み、新宿住友ビルの朝日カルチャーセンターへと向かった。
大澤さんのセミナーを受講するのは2024年9月の「河合幹雄追悼シンポジウム:社会の無意識と法」にリモート参加した時以来なので、それほど熱心な聴講者というわけではないのだが、著作を含め、私にとってかなり影響を受けている存命知識人の一人である。
以下は、当日の大澤さんの講義について穂積が記録したメモに基づき限りなく忠実に再現したものである。したがって基本的には穂積の私見は含まれていない。
第2次トランプ政権は、戦争(ガザ、ウクライナ、ベネズエラ等)と相互関税という2つの「戦争」(リアル戦争と貿易戦争)を “DEAL” という同じ原理で恣意的に動かしている。 ※補注1
なぜ世界中で唯一アメリカだけそのような「横暴」が可能なのか? これはアメリカには地経学(Geoeconomics: 地政学 × 経済安全保障)的パワーが他のどの国や地域よりも圧倒的に強いからである。
アメリカにはドルという基軸通貨がある。それはアメリカが、ある国の他国との貿易に対して間接的な影響力を持っているということである。だからアメリカはX国の貿易相手であるY国やZ国に対して圧力をかけることが可能であるため、容易にX国に対して経済制裁を発動することができる。これは要するにアメリカが世界中の国家間の取引を国内法によって監視することができるという理不尽である。
なぜそんな理不尽がまかり通るのか? これは結局のところ、皆心の中では(相対的に見て)アメリカを信頼しているからとしか言えないのではないか。中共一党独裁でなんだかよくわからない中国よりも、一世紀近くにわたり一応開かれていて様々なコンテンツやサービスで溢れてもいる魅力的なマーケットがあることは、我々にアメリカという国を「寄る辺」として見ざるを得ない存在にしている。
【補注1】
大澤さんは、トランプはリアル戦争を「停止」というベクトルで語っていたが、周知のとおり2026年早々に起きたベネズエラ侵攻とマドゥロ大統領拘束は、トランプが決して反戦主義者などではなく、石油利権・中露けん制・ノーベル平和賞受賞への諦め(笑)等を背景にリアル戦争もディールとして動かしていることがはっきり示された事案であり、その読みは正確であったと言える。
さて、ガザ問題やウクライナ戦争に対するトランプの姿勢も “DEAL” であるため、停戦条件が必ずしもパレスチナやウクライナの意向に沿った内容ではない、というよりも彼らの意向はほとんど無視されているばかりかトランプの心情的にはむしろ戦争を仕掛けた側であるイスラエルやプーチンに寄っているとさえ言える。ガザ問題に関してはヨルダン川西岸地区の問題が棚上げにされているし、イスラエルがガザで行ったジェノサイドが停戦によって不問に付されてしまうようなことになれば、これは倫理的・道義的責任の不問ということでもあり、人類としての問題が残る。ウクライナでロシア兵が起こした民間人虐殺や強姦の問題についても同様である。
もちろん人が殺し合いをする戦争よりも平和の方が良いかもしれない。
しかしこのような「”DEAL” の成果としての停戦」で満足してしまってはいけない。
「正義の戦争<不正義の平和」の図式を受け容れてしまうと停戦よりも先に進むことができなくなってしまう。不正義の平和を与えられた敗者は、これを「まあしかたない」と受け容れるべきではなく、戦争とは異なる手段で抵抗する義務がある。
そして我々日本人は敗戦と列強による強権的な戦後処理を受け容れたという経験者であるということを忘れてはならず、「不正義の平和」に満足する世界に対して声を上げていかなければならない。
ここまでが本セミナーにおける大澤さんの主張の要諦である。
現代的な視点からすると、安易に「太平洋戦争という『不正義な戦争』から離脱し、『正義の平和』が与えられた」と考えてしまいそうになる。これは戦後歴史教育の弊害(成果?)という側面もあるかもしれないが、その一方で歴史を丹念に検証すればそのような側面もゼロではなかったと言えるかもしれない。
ただ、戦中派的視点からすれば「太平洋戦争は『正義の戦争』であり、敗戦によって『不正義の平和』が与えられた」という考えが優勢だったのはどうやら間違いはなさそうである。※補注2
【補注2】
これは客観的史実というよりも日本国民としての主観性の問題であることに注意。なお、大澤さんからは、太平洋戦争が正義の戦争ではなかったということによって戦後の日本人が敗戦をいう事実を受け容れやすくなったという点で救いになった、という興味深い見解があった。
これは穂積の考えであるが、戦後の「経済でアメリカに勝つ」というムーブメントは、まさに我々日本人が「戦争とは異なる手段での抵抗という義務」を履行したことの表れではなかったか、と言えるだろう。

(図はセミナーで配布されたレジュメの抜粋)
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